母親が嫌いな息子へ。本音を話さないで共感すれば関係が良くなるよ!

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こんにちは、Kentoです!

私は長年、母親が嫌いでした。いや、母親が自分の考えを押しつけてくるところが嫌いでした。

本当は、ただ認めてくれれば、それでいいのに・・。

そう思いながら、距離をあえて置いたことが何度もありました。

なんで母親なのに、こんなに理解してくれないのだろう。そう思うと、なんだか悲しくなりますよね。

でも、今ではそれなりに良好な関係が築けています。

もちろん、今でもケンカをすることはありますけどね。

未だに私の意見を受け入れて、納得してもらうことは全然ないです。

なので、私も意地で押し通します。大人になってからは、自分の人生を生きたいですからね。

初めて大きなケンカをしたのは、転職したいと話したときでした。

全く受け入れてもらえないことにショックを受けたのを、今でも覚えています。

 

この記事では、私の体験談を交えながら、母親が嫌いだった私が良好な関係を築くまでを紹介していきます。

諦めるところは諦めて許せるようになると楽ですよ。母親は一生、変わらないでしょうからね。

私は今ではウソも言うし、本音を語ったりは絶対にしません。

でも、本音を言うことを諦めたら自分も楽になったし、母親と関係が良くなりましたよ。

母親がストレスだと辛いですよね。この記事から、何かしら参考にしてもらえたら嬉しいです。

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母親が嫌いな息子でいいじゃないか。母親は共感能力の高さがめんどくさいのだから。

私は母親が私の考えを感情的になって否定するのは、共感力の高さが原因だと思います。

ただ、その共感力は女性の本能みたいなものだなと思います。ここを諦めないといけないと思いました。

 

ここからは、私が女性の共感能力の高さを感じたエピソードを紹介しますね。

先日、スーパーで若い夫婦と幼稚園くらいの子ども一人の家族をみかけました。

父親はまだ若そうでした。父親は子どもの来ているジャケットのフードを引っ張って遊んでいました。

子どもは歩いていこうとしたのに、フードを引っ張られて向こうに行けませんでした。

でも、子どもは特に気にしていない様子。特別、泣き出したりしませんでした。

ただ、それを見ていた母親が感情的になって父親に言います。

もう、やめなよ!

明らかに怒っている母親。別に子どもは苦しがっているわけでも、怒ってもいないのに。

 

コレを見たときに、私は母親の共感能力の高さを感じました。

本当に自分がフードを引っ張られて苦しい思いをしたかのように怒っていました。

子どもがされたことを、瞬時に自分のことのように感じていたようです。

頭で考えてるわけではない。意識して想像したわけでもない。

『相手の立場にたって考えることが大切です』なんて言いますが、そんなことを意識しないで感じ取る。

無意識レベルでの条件反射。本能という言葉がぴったりだと思いました。

母親の共感能力の高さは理屈ではないのだな。つくづく感じましたね。

 

こんな感じで共感能力が高いから、母親は息子の決断を自分のことのように感じます。

子どもが小さいときには言葉がうまく話せないから、母親の共感能力はありがたかったでしょう。

でも、自分が意思をもつようになって自己主張ができると、子どもにとってはめんどうだと感じますよね。

たとえば転職にしても、母親は関係ないじゃないですか。

それなのに、自分が転職するときの不安を勝手に想像して、その不安に耐えられなくなります。

だから、その不安をかき消すためにムキになって否定します。

関係ないと言っても、それはそれで怒り出すんですよね・・。経験ありませんか?

女性は理屈よりも感情を優先します。自分がどう感じたかを元に、その感情を肯定する理屈を練ります。

勝手に息子に不安をもって、息子を信じるよりも不安の感情を優先するわけです。

しかも、やっかいなことに母親って心配することが愛情だと勘違いしていますよね。

『心配される=信頼されていない』息子はこう感じますから、余計に二人の距離が離れてしまいます。

どうしようもないですよね・・。

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母親が嫌いな息子の私は、新しい挑戦が大好き!母親は安定志向の無難主義。

特に私の母親が感情的になって否定してくるのは、自分の価値観に反する行動を息子がとるときです。

まあ、自分の考えを押しつけてくるってことですね。

母親は無難な安定志向。毎日同じことを繰り返す、ロボットのような存在です。

本当にRPG(ロールプレイング。ドラクエやファイナルファンタジーなど)の村人Aみたいな存在ですね。

話しかければ同じセリフを口にする。同じ反応を繰り返すだけのように私には見えます。

まだ20年以上は生きるだろうに、退屈な人生を生き続けるんだなと不思議に思いますが・・。

新しいことを始めれば?そう勧めても、興味を示してくれません。

まあ、母親の人生だから自由にいきればいいか。そう私は自分を納得させています。

あえて口を出したりしません。諦めました。

 

でも、こちらの人生に対して口出ししてくるとなると話は別。

そんな母親の生き方を押しつけてくるようなら、全力で拒否しますよ。

母親のような生き方をしてたら、私みたいな人間だと後悔するのは分かりきっています。

それに、これからの変化が激しい時代で、ただ同じことを繰り返すだけの人間なんてヤバイじゃないですか。

AI(人工知能)や外国人労働者の受け入れが進んで、仕事が奪われる世の中になると私は思っています。

同じことしかできない人間なんて、資本主義の底辺に追いやられるんじゃないですかね。

そんなの私はイヤですよ。

 

それに、新しいことをいろいろ試してみるって単純に面白いです。

SNSとか、この時代の特有の面白さってたくさんあります。何もしないなんて、もったいないじゃないですか。

同じことを繰り返す安定志向。そんな自分の世界をあえて狭くする窮屈な生き方はごめんです。

人生は経験です。少なくとも私はいろんなことに挑戦して経験を積んで死んでいきたい。

転職だって同じです。息苦しいような職場なら変えた方がいいでしょう。

仕事が苦しかったら、家に帰っても苦しそうな疲れた雰囲気が出てしまいます。

家族を大事にする余裕がなくなるじゃないですか。

あるいは、自分の気持ちが新しい環境にワクワクする。そんな転職理由もいいと思います。

ずっと外の世界に対する憧れを抱いていたのに、歳をとって諦めるなんて想像しただけでゾッとしますよ。

チャンスと捉えてやってみるのも面白いじゃないですか。

失敗したらやり直せばいい。貴重な経験を手に入れた。それは何より人生の財産になります。

学べば考え方が変わってきます。見方が変われば、同じ世界でも全く違うものになりますからね。

でも、自分の気持ちを押し殺すような生き方をしたら、何も感じない心になっていきます。

見方や考え方が変われば、面白いことが溢れているこの世界で。

目の前の感動に気づくこともなく死んでいく。そんなつまらない人生はイヤだ。悲惨すぎる。

どんどん成長していく自分でありたい。死ぬときには、いろいろ経験できた楽しい人生だったと笑いたい。

感情のままに書いてしまいましたが、私はこんな人間です。

根本的に母親とは違う人間なのです。母親には理解できないでしょう。

母親からしたらリスクを想像してゾッとする生き方でしょう。

だからこそ、本音を話さない。私が出した結論でした。

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母親が嫌いな息子の私は、母親の考え方や生き方が嫌いなだけ。母親そのものには感謝している。

本来なら、人間関係って人との違いを楽しめるといいですよね。

考え方が違えば、お互いに発見があります。

その違いを知って、より自分を知ることに活かす。自分にない発想に感動する。

そうやって、自分の思考や発想の世界を広げていけば、すごく刺激になって楽しいです。

 

ただ、劣等感が強い人は考え方の違いを受け入れられません。

考え方の優劣や正しい、正しくないにこだわります。そして、自分の考え方が正しいと相手が認めないとムキになります。

『そういう考えなんだ。私と違う考えなんだね』それで済む話なのに、できません。

自分そのものを否定されたと捉えて感情的になります。

『分かったよ。あたしが悪いんだね』うちの母親は自分の意見を論破されると卑屈になります。

考えが違うことを伝えただけなのに、自分が悪いと解釈してしまうのです。

結果、論破された考えだけでなく相手そのものを嫌いになります。

 

では、母親の考えが正しいと認めてあげると、どうなるでしょう。

認めたからには、母親の考えに沿った行動をとることを求めます。

たまったものではないですよね・・。

私の母親の例でいえば、転職の話をしたときが一番ひどかったです。

転職した先の会社が、本当にずっと勤めていける安定した環境かどうかなんて分かりません。

だから転職しないで今の会社にずっと勤めるべきだ。そんな考えを押しつけてきました。

私の気持ちなんて一切無視。ただ勝手に妄想して勝手に不安を抱いて、そんな不安を最優先。

母親の意見を肯定すれば、私は転職できない。

かといって、母親の意見を否定すれば、感情的になって否定してくる。

自分を否定されたと感じて『育ててあげたのに親に向かって何だ!』とか、論点ではないことを主張してくる始末。

一言で言ってしまえば、コミュニケーションにならないんですよね。

 

結局、母親の意見を肯定したように見せかけてその場をおさめて、私は勝手に転職しました。

別の言い方をすればウソをついたわけです。

『何年か経って、安定してからの事後報告でいいや』もう諦めましたね。

ウソをついた後味の悪さを感じながら、こんなことなら報告しなければ良かったと思いました。

お互いの気持ちや感情を優先するなら、事後報告が正解だったと思っています。

実際、数年後の事後報告で大丈夫でしたからね。安定した現状を掴んでしまえば、それが最大の説得力になるわけです。

 

母親には感謝しています。

実家を離れて一人暮らしをしたり、結婚して離れてみるとありがたみが分かります。

実家のアルバムを見ると、初めての子どもだったから大事に育ててくれたのが分かります。

だからこそ、言い争いなんてしたくありません。誰だってイヤに決まっているじゃないですか。

でも、母親の主張を受け入れることもできないんですよ。

自分らしく生きられないなら、どこかで自分がイヤになりますからね。

母親にウソをついた方がマシだと思います。

母親を特別な存在だと思うから、理解を求めてしまうんでしょうね。

他人なら本音を受け入れてもらうことを望むことはおろか、本音を話すことも少ないですからね。

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母親が嫌いなら、共感だけしよう。ウソをついて衝突をさければいい。

母親は自分の意見を肯定してもらえれば満足なんです。

自分の主張をしっかり行動に移したか観察するわけではありません。

むしろ、自分の行動をしっかり見ているのは自分自身です。

自分の心に反する行動をすれば、自分がイヤになってしまうでしょう。

自分にウソをつくことはできません。いや、自分だけは大事にするべきです。

だから、母親にウソをついてもいいと私は思っています。

ウソをつくなんて偽りの関係だと思うかもしれません。

でも、本音をぶつけ合ってイライラするよりも、よっぽどお互いに気持ち良く生きられますよ。

そっちの方が、よっぽどいいじゃないですか。

他の誰かに話す必要もないから、自分が満足できるかどうかの問題です。

どうしても譲れないときはウソをついてでも自分の意思を尊重しましょう。

事後報告でいいのです。その決断を貫いて自分が満足できれば、母親も安心してくれますよ。

感情的になって書いてしまいました。ここまで読んで下さった方、ありがとうございました!

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