こんにちは、Kentoです!
かつて私は、頑張れない自分が嫌いでした。そう言い聞かせて、頑張ってきました。
でも、事故に遭って死ぬかと思ったときに、ただ頑張るだけの人生では後悔すると強く思いました。
『結局、自分の人生って何だったんだ・・。全然、満足できなかったよ』
死んで自分の葬式をみたら、そんなことを思うだろうと確信しました。
極端な話だというのは、分っています。
自分が死ぬなんて現実的ではないし、想像したくない気持ちも分ります。
でも、少しだけ付き合って下さい。お願いします。
私は事故に遭わなかったら、今でも頑張れない自分が嫌いだったかもしれません。
そう思うとゾッとします。なぜなら、今の自分が好きだからです。
頑張れない自分も含めて好きだからです。
そう思えて、人生が少しずつ好転していきました。
この記事では、当時の自分へのメッセージのつもりで書いていきます。
少しでも読んでくださった方の心が軽くなったら嬉しいです。いきましょう!
頑張れない自分が嫌いだった頃の私は、コンプレックスを抱えていた
幼少期の私は、勉強も運動もできずに、人より優れていることがありませんでした。
それを友達に(悪気はなくけど)指摘されて、落ち込んだことを覚えています。
『Kentoって、特技とか、フツーの人よりすごいところがないよな』
何も言えなかったことが悔しかった。情けなかった。家に帰って一人泣きましたね。
そこで、私は勉強をがんばり始めました。
勉強の仕方もよく分らなかったから、教科書を丸写ししました。
そんな遠回りな勉強方法でも、少しずつ成績があがり、自信に繋がっていきました。
もちろん、教科書の丸写しなんて苦痛そのものです。
努力とは、辛くても苦しくても自分の心を押し殺してするものだと信じていました。
勉強は嫌いだけど、我慢をしてやる。頑張らないといけないと自分に言い聞かせました。
車で言えば、アクセルとブレーキを両方、踏んでいるような状態です。
まあ、車なら壊れますよね。笑
当然、私の心は苦しくて仕方ありませんでした。
それでも頑張れたのは、両親が少しだけ褒めてくれたからでした。
三人妹弟の一番上だったこともあり、物心が付く頃には親からあまり構ってもらえませんでした。
そんな両親がテストで高得点をとれば、少しだけ褒めてくれる。ただ、嬉しかった。
今思い返してみると、寂しかったんだと思います。
もっと私のことを見て欲しかった。でも、お兄ちゃんはそんなことを言ってはいけない。
だって、自分はお兄ちゃんだから・・・。
喉がカラカラの子どもが水を求めるように、私は両親に褒めてもらいたくて勉強を頑張りました。
事故に遭って、頑張るだけが人生だと思っていた自分に気がつく
私が事故に遭ったのは高校2年生の時でした。
その頃には、両親に褒められたくて勉強をしているわけではありませんでした。
特に好きなこともなかった私は、ガムシャラに勉強に励み、勉強ができることが自分のアイデンティティーでした。
テストで高得点をとる。そして、自分は頭が良いと思う。優越感にひたる。
それが快感で勉強をしていました。でも、勉強はやっぱり嫌いでしたよ。
ある日、自転車で下校中に事故に遭いました。
車に衝突して、顔の端に30針縫うケガをしました。
頭を強く打ちましたが、脳を損傷しないで済みました。
奇跡的だったと今でも思っています。
ただ、医者に打ち所が悪ければ死んでもおかしくなかったと言われたときに、ゾッとしました。
自分が死ぬなんて、一度も真剣に考えたことがない。
そんな私が初めて『死んだらどうなってた?』と考えてしまいました。
ただ、勉強を頑張ってきただけ。そんな人生。
『今、頑張っていれば、きっと将来は楽ができる。その時に、周りの遊んでいる奴らは後悔するんだ!』
そう信じていました。でも、あやうく後悔するのは自分だった。
自分が積み上げてきたものは、幻のように消えてしまうかもしれなかった・・。
そう思ったときに、頑張るだけの人生ってどうなのだろうと初めて考えました。
呆れるかもしれませんが、本当に今まで疑問に思わなかったのです。
そんなことを考える暇があるなら、頑張らないといけない。
そうやって、本当に大切なことから目をそらして生きてきた自分にようやく気がつきました。
頑張れない自分が嫌いだと厳しくしても、人生はうまくいかないと思う
『オレってバカだからさ』そんな事を平気で言って、勉強を頑張らない人を見下していました。
勉強なんて我慢して歯を食いしばってやっていれば、できるようになる。努力が足りないんだよ。
そう思って、我慢して頑張る自分は立派だと思っていました。
だからこそ、勉強したくないと思っても、無理して自分を机に座らせました。
観たいテレビ番組があったな。映画で気になるのが今ごろやってるよな。音楽を聴きたい・・。
そんなことを頭の中でつぶやく自分を押し殺して、勉強を頑張りました。
自分に対する拷問みたいなものですよね、今思うと。
でも、当時はそれこそが尊い努力だと思っていました。
そして、頑張って尊い努力を重ねる自分はすごいと信じていました。
そんな自分が事故にあって、人生観が変わりました。その詳細はこちらの記事で紹介しています!
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アラサーになった大人の私なら、当時の私になんて声をかけるだろう?
書きながら、そんな疑問が浮かびました。
こんなことを伝えてあげたいと思います。
『苦労の先には、苦労しかないよ。苦労を選び続ける人生をいつまで歩き続けるの?』
『頑張れない自分が嫌い?自分はいろんな一面をもっていることを認めてあげなよ。条件つきじゃダメだよ』
それぞれ、こんなメッセージになります。
苦労の先には、苦労しかないよ。いろいろな自分を認めてあげよう!
日本人は我慢や苦労を美徳にしたがります。
そう信じてる人って人生の選択があるたびに、苦しい方を選んでいくんですよね。
苦しい方を選び続けて、苦しみながら進んでいきます。
そんな人、あなたの周りにいませんか?
その人がすごく尊敬できて、自分もその人のようになりたいと思えるなら、その人の話を信じるのもいいでしょう。
ただ、私の経験上ですが、苦労を選んでいく人で尊敬できる人っていないんですよね。
どこか困ったような顔、不満そうな顔をしながら頑張っています。本人は自覚がないでしょうけどね。
私はそういった苦労を選ぶ人とは距離をとります。
なぜなら、我慢や苦労を美談にする人ほど、周りの人に厳しさを強要するからです。
自分に厳しい人は、必ず周りの人に対しても厳しくします。
頑張れない自分が嫌いだという人は、頑張れない人を好きにはなれません。
いや、許せないのです。だから、頑張っていない人をみるとイライラします。
客観的に見ても、私だけでなくて多くの人が避けるように距離をとります。
きっと、そんな人は孤独な老人になるのだろうなと思います。最後まで苦労をして死んでいくのでしょう。
苦労の先に苦労をしていく。どこかで気がついて軌道修正できるといいですよね。
ただ、生き方を変えるって、今まで積み重ねたものを崩してしまうような怖さがあるので・・。
よほど、本人の中で大きな決意がないと難しいかもしれませんね。
一方で、私が尊敬できる人はみな、大変な道を選んだとしても、楽しみながら明るく毎日を生きています。
頑張れないときはお酒を飲んで陽気に騒いだり、趣味に励んで体を動かしたりします。
無理にがんばったりはしません。時には人知れず、歯を食いしばることもあるかもしれませんが・・。
頑張れない時は、そんな自分を許して受け入れて、ご褒美を与えるように好きなことをします。
だからこそ、人前では笑顔を絶やさず、周りの人への気遣いをする余裕を常にもっています。
そして、頑張れない人に対しても、共感して許すことができるのです。
そういう人には、人が集まってきますよ。きっと、この先もいろいろな人に笑顔で囲まれるのでしょうね。
『頑張れない自分が嫌い』これが苦労の道を選び続ける人の特徴です。
かつての私のように、未来のために積み重ねるという考えの人もいますが。
ある程度大人になると、それが生き方そのものになっているかもしれません。
習慣的に頑張っているだけなのかもしれません。
頑張る理由も忘れて、頑張ることそのものが目的になっているように見えます。
『自分のことが好き。そして、頑張れない自分だって自分だから好き』
私が尊敬する人たちは、自分のことを無条件に好きで大切にします。
頑張れないなら嫌い。そんな条件をつけたりしません。
頑張れないなら、その時はその時。そう割り切って楽しむことに専念します。
いずれはやる気が戻ってくることを分っているからです。
『神様が休めって言ってるんだよ』そんな理由にならない理由を作って、自分を許します。
言い方を変えれば、どんな『今』も楽しんでいるように見えます。
でも、これが人生を楽しく生きるための秘訣だと思うんですよね。
将来って概念に過ぎません。頭の中だけにあるものに過ぎません。
『今』がただたた続いていく。それが人生です。
だからこそ、どんな自分であろうと『今』を最大限に活かすことが、人生を豊かに生きることに繋がると思うのです。
人生なんて大きなテーマになってしまいましたね。でも、たまに考えて見ると面白いですよね。
私の人生の目的についてはこちらの記事で紹介しています。考えてみるうえで、参考にしてもらたら嬉しいです!
スポンサーリンク こんにちは、Kentoです! 人生の目的について、たまには考えてみるのも面白いですよね。 人 …
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました!